あなたはきっとわたしの天使。
わたしはそっと誰かの天使。
子供 叱るな 来た道じゃないか
年寄り バカにするな 行く道じゃないか
来た道 行く道 二人旅
これから通る今日の道
通り直しのできぬ道
されど所詮墓の中かぁ!!!(← ココだけ永六輔さんの言葉ではありませぬよ)
子供の過ちを無闇に叱るものではなく、老人の言動を軽々しく笑うものではない。
自分も子供の頃に同じ過ちをした筈だし、やがて年を取れば同じような言動をするようになる。
永六輔著
やっぱり、慌てず焦らずゆるゆると 歩みは止めず前へ前へということになるのだ。。
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『瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 会はむとぞ思ふ』
(せをはやみ いわにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ)
川の流れが早いので岩にせき止められた急流が
二つに分かれても、後に合流するように、
私たちもいったんは別れてもいつかきっと会おうと思う
(崇徳院(すとくいん)(1119~1164) 第75代天皇 保元の乱、讃岐へ流された)
「詞花集」
(せをはやみ いわにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ)
川の流れが早いので岩にせき止められた急流が
二つに分かれても、後に合流するように、
私たちもいったんは別れてもいつかきっと会おうと思う
(崇徳院(すとくいん)(1119~1164) 第75代天皇 保元の乱、讃岐へ流された)
「詞花集」
先日、妹の引越し先を一緒に行って決めてきました
今住んでるのは2人暮らしなので2DKなんですけど、
やっぱり一人暮らし用の部屋と比べると広かったんだなァって思いました。
次はにゃんこの番だにゃ( ´∀`)ノ
永住するわけではないので、部屋を探す楽しみっていうのもあるかもだけど、
独りって寂しい…c(゜^ ゜ ;)ウーン
あさってから妹は教習所通いというか、合宿でいなくなっちゃうヽ(+∇+)ノ・・・キュゥ
しばらくは妹の部屋に居座るじょ(・ε・ )むぅ
一応今のところに越してくる前はにゃんこ一人暮らしだったんだけどね(;´Д`)
第1章 フリーダ・カーロとディエゴ・リベラ
第2節 ディエゴ・リベラ
第2節 ディエゴ・リベラ
第1項 メキシコ革命とメキシコ美術の巨人ディエゴ・リベラ
ここでは、フリーダの作品の中にもたびたび登場してくるディエゴ・リベラについて述べていこうと思います。

これが「蛙のような醜い顔」呼ばわれなディエゴですよ( *´ノェ`)コチョーリ

写真だとこんな感じですね♪絵の方がちょっとおじいちゃんです。。
!!Σヽ(゚Д゚○)ノ
途中補足として(こうした水色の字で)いろんな情報が入ってきますのでご注意ください。
それから名前の部分に(日本語なら日本語サイト、ローマ字ならほぼ?英語のサイトで別々に)リンクが貼ってあります。
これは海外サイトの方が多く作品が見れるので、分けてリンクをつけました。
ご参考ください。
これが「蛙のような醜い顔」呼ばわれなディエゴですよ( *´ノェ`)コチョーリ
写真だとこんな感じですね♪絵の方がちょっとおじいちゃんです。。
!!Σヽ(゚Д゚○)ノ
途中補足として(こうした水色の字で)いろんな情報が入ってきますのでご注意ください。
それから名前の部分に(日本語なら日本語サイト、ローマ字ならほぼ?英語のサイトで別々に)リンクが貼ってあります。
これは海外サイトの方が多く作品が見れるので、分けてリンクをつけました。
ご参考ください。
これらも補足として付け足してある部分なので、最後の注には載せていませんのでご注意ください。
1876年から1911年の34年間はポルフィリオ・ディアス(José de la Cruz Porfirio Díaz Mori, 1830-1915)が独裁支配のもと、政権を握っていた時代でした[i]。
ポルフィリオ・ディアス(José de la Cruz Porfirio Díaz Mori, 1830-1915)
関係ないけど・・誰かに似ている…c(゜^ ゜ ;)ウーン
夏目漱石?!
政府が長期に渡って推し進めた外国資本依存の近代化政策は、海外投資家と裕福な白人階級、一部のエリート層にのみ利益が集中し、農民たちは貧困に喘ぐといった悪質な社会・経済構造を作り上げていたのでした[ii]。
20世紀に入ると、こうした圧政に対する反対や、改革を叫ぶ声が社会の各層から起こり、1910年、ついにメキシコ革命が起こったのです[iii]。
ポルフィリオ・ディアス(José de la Cruz Porfirio Díaz Mori, 1830-1915)
関係ないけど・・誰かに似ている…c(゜^ ゜ ;)ウーン
夏目漱石?!
政府が長期に渡って推し進めた外国資本依存の近代化政策は、海外投資家と裕福な白人階級、一部のエリート層にのみ利益が集中し、農民たちは貧困に喘ぐといった悪質な社会・経済構造を作り上げていたのでした[ii]。
20世紀に入ると、こうした圧政に対する反対や、改革を叫ぶ声が社会の各層から起こり、1910年、ついにメキシコ革命が起こったのです[iii]。
このメキシコ革命が勃発した時、ディエゴはすでに24歳でした[iv]。
しかし、キュビズム[v]のパリで規定された概念に縛られることのない、より自由な芸術表現の追及に没頭していたので、この大事件に参加する事を妨げていたようです[vi]。

こちらはキュビズムで有名なパブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881-1973)が描いた1937年の作品、ゲルニカ(Guernica)です。

余談ですが、ピカソって気難しい人なんですが、こんなかわいらしい一面ももってるんですよね♪
この写真は20世紀の代表的な報道カメラマン、ロバート・キャパ(Robert Capa, 1913-1954)が撮ったものなのですが、写真を撮られることが嫌いなピカソも彼の前では心を開いていたようです。
そうでなければこんな写真撮れないと思います。おじいちゃんと孫。゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
このロバート・キャパとフリーダの夫、ディエゴとの接点もあったりして( *´ノェ`)コチョーリ
途中でキャパの文献に寄り道をしていたときにキャパがディエゴの写真を撮ってた気がします。
でも残念ながらかすかな記憶なのでこれ以上はなんとも言えません・・。
もとに戻ります・・
ディエゴがふたたびメキシコの生活を始めるのは35歳の頃であり、また彼のまわりにはふたたび、同じように新しい表現を模索し、同じように共産党の活動に惹きつけられた画家や芸術家が集まっていました[vii]。
一方フリーダ・カーロの方はというと、マデーロ(Francisco I. Madero, 1873-1913)の呼びかけの際は3歳であり、コヨアカンの彼女の生活が、メキシコの大事件によって煩わされる事は殆どなかったと言います[viii]。
たとえ二人がともに、ポルフィリオ・ディアスの時代の恩恵を受けていたプチ・ブル[ix]の出であろうと、ディエゴとフリーダは同じ政治体験をしたわけではなかったのです[x]。
しかし、キュビズム[v]のパリで規定された概念に縛られることのない、より自由な芸術表現の追及に没頭していたので、この大事件に参加する事を妨げていたようです[vi]。
こちらはキュビズムで有名なパブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881-1973)が描いた1937年の作品、ゲルニカ(Guernica)です。
余談ですが、ピカソって気難しい人なんですが、こんなかわいらしい一面ももってるんですよね♪
この写真は20世紀の代表的な報道カメラマン、ロバート・キャパ(Robert Capa, 1913-1954)が撮ったものなのですが、写真を撮られることが嫌いなピカソも彼の前では心を開いていたようです。
そうでなければこんな写真撮れないと思います。おじいちゃんと孫。゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
このロバート・キャパとフリーダの夫、ディエゴとの接点もあったりして( *´ノェ`)コチョーリ
途中でキャパの文献に寄り道をしていたときにキャパがディエゴの写真を撮ってた気がします。
でも残念ながらかすかな記憶なのでこれ以上はなんとも言えません・・。
もとに戻ります・・
ディエゴがふたたびメキシコの生活を始めるのは35歳の頃であり、また彼のまわりにはふたたび、同じように新しい表現を模索し、同じように共産党の活動に惹きつけられた画家や芸術家が集まっていました[vii]。
一方フリーダ・カーロの方はというと、マデーロ(Francisco I. Madero, 1873-1913)の呼びかけの際は3歳であり、コヨアカンの彼女の生活が、メキシコの大事件によって煩わされる事は殆どなかったと言います[viii]。
たとえ二人がともに、ポルフィリオ・ディアスの時代の恩恵を受けていたプチ・ブル[ix]の出であろうと、ディエゴとフリーダは同じ政治体験をしたわけではなかったのです[x]。
かくしておよそ10年間に渡るメキシコ革命に終止符が打たれた1920年代、メキシコ大統領、マデーロの音頭とりでメキシコ壁画運動は開始されました[xi]。
国の歴史と革命の理想を主題としたこの国民的芸術運動の中心にいたのが、ホセ・クレメンテ・オロスコ(José Clemente Orozco, 1883-1949)やダビッド・アルファロ・シケイロス(David Alfaro Siqueiros, 1896-1974)、そしてディエゴ・リベラです。

ホセ・クレメンテ・オロスコ(José Clemente Orozco, 1883-1949)
オロスコの場合は、メキシコ社会・メキシコ革命といった、ナショナルな問題、国際的な見地からはあくまでローカルな問題意識というものを超えて、普遍的な人間の問題を追及していった作品が多く見られます。
こちらの作品は、1937年にグアダラハラ市の州政庁の天井から階段部にかけて描かれた「戦うイダルゴ神父」という作品になります。
彼(ミゲル・イダルゴ, Miguel Hidalgo y Costilla, 1753-1811)はメキシコ独立運動の際に指導者となった人でした。

神父が振り下ろした松明で焼き払おうとしているのは、資本主義の害毒ばかりではありませんでした。
それはナチスのハーケンクロイツもソ連の鎌も、そして驚くべきことにカソリックの協会までもが対象とされていたと言われています。
もちろんイダルゴの時代にはナチもソ連もありませんでしたから、オロスコの思想だと思われるのですが、権力の全てを否定するその激しさが見ているこちらのほうにまで襲い掛かってきそうな剣幕ですよね。

ダビッド・アルファロ・シケイロス(David Alfaro Siqueiros, 1896-1974)
シケイロスは外国資本勢力とディアス独裁政に対抗して民衆と農民の力を終結し、これとブルジョワジーの利害とを一致させて社会の不平等を更正していこうという社会理念をもっていました。
もともと彼の描く作品は、激しくて何か押し付けてくるようなものが感じ取れる作品ばかりなのですが、1956年ごろから、支持体をフラットな平面ではなく三次元的な厚みを加えたものにするようになり、それがますます訴える力を強くしているようにも思えます。
このようなタイプの作品はシケイロスが自らそう呼ぶようになったので「彫刻的絵画」と呼ばれるようになりました。

そしてこちらの作品は、「the Dictatorship of Porfirio Diaz to the Revolution (detail), 1957–65」ですが、これは何を描いたかというとディアス政権に対して不満を持った人々が今にも反乱を起こしてやるぞッ!って瞬間だと思われます。
これは彫刻的絵画ではないのですが、発見したのでハリハリしました☆
この壁画運動はメキシコ革命の過程で明確に形成されてきた、革命勢力同士も一致して反米、外国勢力排除の姿勢をとるという、メキシコ人としての民族意識を高める文化活動であり、革命を国民全体の共有財産として歴史の中枢に刻み込む作業で、長らく文化的な支配を受け続けてきた西欧に対する、メスティーソ文化の挑戦でもありました[xii]。
メキシコ市におけるディエゴの最初の仕事は1922年の国立予科高等学校、サン・イルデフォンソ学院の講堂に描かれた「創造」でした[xiii]。

メキシコの歴史(部分)
フリーダと、その妹が描かれているのがわかるかな?
メキシコでは識字率が低かったため、壁画は新たに誕生した社会を国民に自覚させる有効な手段となっていました[xiv]。
20年代の早い時期からディエゴ・リベラはメキシコ本国だけでなく、アメリカ、ヨーロッパにおいても大変な人気壁画家であり、30年代にはフォード(Henry Ford, 1863 -1947)やロックフェラー(John Davison Rockefeller, 1839-1937)ら大資本家たちが競って、共産主義を標榜していたディエゴをアメリカに呼びよせ壁画を依頼したほどでした[xv]。
大ボラ吹きで残酷で、粗野かと思えば途方もなくやさしく、パリ遊学で培われ洗練された感覚と知性に溢れ、その桁外れの仕事への情熱と才能は会う者すべてを圧倒したと言われています[xvi]。
国の歴史と革命の理想を主題としたこの国民的芸術運動の中心にいたのが、ホセ・クレメンテ・オロスコ(José Clemente Orozco, 1883-1949)やダビッド・アルファロ・シケイロス(David Alfaro Siqueiros, 1896-1974)、そしてディエゴ・リベラです。
ホセ・クレメンテ・オロスコ(José Clemente Orozco, 1883-1949)
オロスコの場合は、メキシコ社会・メキシコ革命といった、ナショナルな問題、国際的な見地からはあくまでローカルな問題意識というものを超えて、普遍的な人間の問題を追及していった作品が多く見られます。
こちらの作品は、1937年にグアダラハラ市の州政庁の天井から階段部にかけて描かれた「戦うイダルゴ神父」という作品になります。
彼(ミゲル・イダルゴ, Miguel Hidalgo y Costilla, 1753-1811)はメキシコ独立運動の際に指導者となった人でした。
神父が振り下ろした松明で焼き払おうとしているのは、資本主義の害毒ばかりではありませんでした。
それはナチスのハーケンクロイツもソ連の鎌も、そして驚くべきことにカソリックの協会までもが対象とされていたと言われています。
もちろんイダルゴの時代にはナチもソ連もありませんでしたから、オロスコの思想だと思われるのですが、権力の全てを否定するその激しさが見ているこちらのほうにまで襲い掛かってきそうな剣幕ですよね。
ダビッド・アルファロ・シケイロス(David Alfaro Siqueiros, 1896-1974)
シケイロスは外国資本勢力とディアス独裁政に対抗して民衆と農民の力を終結し、これとブルジョワジーの利害とを一致させて社会の不平等を更正していこうという社会理念をもっていました。
もともと彼の描く作品は、激しくて何か押し付けてくるようなものが感じ取れる作品ばかりなのですが、1956年ごろから、支持体をフラットな平面ではなく三次元的な厚みを加えたものにするようになり、それがますます訴える力を強くしているようにも思えます。
このようなタイプの作品はシケイロスが自らそう呼ぶようになったので「彫刻的絵画」と呼ばれるようになりました。
そしてこちらの作品は、「the Dictatorship of Porfirio Diaz to the Revolution (detail), 1957–65」ですが、これは何を描いたかというとディアス政権に対して不満を持った人々が今にも反乱を起こしてやるぞッ!って瞬間だと思われます。
これは彫刻的絵画ではないのですが、発見したのでハリハリしました☆
この壁画運動はメキシコ革命の過程で明確に形成されてきた、革命勢力同士も一致して反米、外国勢力排除の姿勢をとるという、メキシコ人としての民族意識を高める文化活動であり、革命を国民全体の共有財産として歴史の中枢に刻み込む作業で、長らく文化的な支配を受け続けてきた西欧に対する、メスティーソ文化の挑戦でもありました[xii]。
メキシコ市におけるディエゴの最初の仕事は1922年の国立予科高等学校、サン・イルデフォンソ学院の講堂に描かれた「創造」でした[xiii]。
メキシコの歴史(部分)
フリーダと、その妹が描かれているのがわかるかな?
メキシコでは識字率が低かったため、壁画は新たに誕生した社会を国民に自覚させる有効な手段となっていました[xiv]。
20年代の早い時期からディエゴ・リベラはメキシコ本国だけでなく、アメリカ、ヨーロッパにおいても大変な人気壁画家であり、30年代にはフォード(Henry Ford, 1863 -1947)やロックフェラー(John Davison Rockefeller, 1839-1937)ら大資本家たちが競って、共産主義を標榜していたディエゴをアメリカに呼びよせ壁画を依頼したほどでした[xv]。
大ボラ吹きで残酷で、粗野かと思えば途方もなくやさしく、パリ遊学で培われ洗練された感覚と知性に溢れ、その桁外れの仕事への情熱と才能は会う者すべてを圧倒したと言われています[xvi]。
ディエゴの政治に対する自覚は、ヨーロッパの経験や戦争の衝撃、モンパルナスでのイリヤ・エレンブルグ(Il'ya Érenburg, 1891-1967)、ピカソ(Pablo Picasso, 1881-1973)、エリー・フォール(Élie Faure, 1873-1937)との出会い、1914年革命因子が潜在していたロシアからの移民の小さな共同体とのつきあいを通じて、次第に醸成されていきました[xvii]。
一方フリーダは必要であれば、ディエゴとともにデモの最前列を並んで歩くことはあったが、フリーダ自身は政治的闘争においてディエゴよりも関心がなかったようです[xviii]。

ディエゴ・リベラ 「兵士に武器を配るフリーダ」(1928)

デモ行進で最前列を歩くディエゴの後ろで歩くフリーダ(1936)
彼女にとっては、自分が愛する男が行う政治的冒険に対し、彼についていけばこと足りてしまったのです。
彼女にとって絵を描くことはディエゴへの愛を語ることであり、その愛の苦しさを、この世におけるその限界を、またその愛の永遠性にたいする彼女自身の信念を語ることであったのである[xix]。
今日は、映画フリーダで使用されていたBGMが視聴できるサイトを見つけたのでご紹介します(o^-^o)
下の画像をクリックすると飛べます

一方フリーダは必要であれば、ディエゴとともにデモの最前列を並んで歩くことはあったが、フリーダ自身は政治的闘争においてディエゴよりも関心がなかったようです[xviii]。
ディエゴ・リベラ 「兵士に武器を配るフリーダ」(1928)
デモ行進で最前列を歩くディエゴの後ろで歩くフリーダ(1936)
彼女にとっては、自分が愛する男が行う政治的冒険に対し、彼についていけばこと足りてしまったのです。
彼女にとって絵を描くことはディエゴへの愛を語ることであり、その愛の苦しさを、この世におけるその限界を、またその愛の永遠性にたいする彼女自身の信念を語ることであったのである[xix]。
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【注】
[i]地球の歩き方編集局『地球の歩き方 2003-2004年版 メキシコ』ダイアモンド社、2002、
443ページ。
443ページ。
[ii]宮本雅弘ほか『図説 メキシコ 混血が生む新しい民族文化』河出書房新社、2001、
45ページ。
[iii]地球の歩き方編集局前掲書、443ページ。
[iv]ル・クレジオ前掲書、12ページ。
[v]キュビズムとはルネサンス以来の「単一焦点による遠近法」の放棄(すなわち、複数の視点による対象の把握と画面上の再構成)形態上の極端な解体・単純化・抽象化を主な特徴とする。セザンヌの影響を受け、20世紀初頭に、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが創始した、視覚上の革命的な美術動向である。ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%93%E3%82%BA%E3%83%A0(2006年11月22日)
[vi]ル・クレジオ前掲書、12ページ。
[vii]同書、61ページ。
[viii]同書、12ページ。
[ix] プチ・ブルジョア(petit bourgeois)の略である。小ブルジョア、小市民とも書く。もともと、資本主義社会において資本家階級と労働者階級の間に位置する中産階級のことであり、具体的には農民・小商店主・職人がこれにあたる。後に学生・サラリーマン(ホワイトカラー)・その他専門家なども含むようになった。ウィキペディアhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%81%E3%83%96%E3%83%AB(2006年11月22日)
[x]ル・クレジオ前掲書、188ページ。
[xi] ドウス昌代『イサム・ノグチ』2000年、講談社、294ページ。
[xii] 加藤薫、『メキシコ壁画運動』平凡社、1988、22ページ。
[xiii] 同書、142ページ。
[xiv] ドウス前掲書、294ページ。
[xv] 田中前掲記事、48ページ。
[xvi] 同上。
[xvii]ル・クレジオ前掲書、188ページ。
[xviii] 同上。
[xix] 同書、189ページ。
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どうもありがとー♪(*・∀-)☆
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にゃんこのお気に入りも入れてみました♪^w^
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